【追悼】稀代の音楽プロデューサー、明石昌夫さんへ感謝を込めて

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【追悼】稀代の音楽プロデューサー、明石昌夫さんへ感謝を込めて

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本日、2025年5月24日、日本の音楽シーンに多大な功績を残された音楽プロデューサー、ベーシストの明石昌夫さんが逝去されました。突然の訃報に接し、深い悲しみとともに、心よりお悔やみ申し上げます。
明石昌夫さんが手がけられた数々の名曲は、私たちの青春に、そして日々の生活に彩りを与え、多くのアーティストを国民的スターへと押し上げました。その偉大な功績を偲び、ここに感謝の意を表したいと思います。

日本のロック・ポップスを牽引した「明石サウンド」

明石昌夫さんは1961年3月25日生まれ。ベーシストとしての確かな技術と、卓越した音楽的センスで、日本の音楽シーンを裏から支え続けてこられました。
彼の名を一躍有名にしたのは、なんといってもB’zの初期作品群でしょう。デビューから「RISKY」「IN THE LIFE」「RUN」といったミリオンヒットアルバムまで、B’zのサウンドプロデュースを一手に引き受け、「ZERO」に代表される、あのパワフルで疾走感あふれる「B’zサウンド」の礎を築きました。分厚いベースライン、タイトで切れ味鋭いドラム、そして緻密に練り上げられたバンドアンサンブルは、まさに「明石サウンド」として多くのリスナーを魅了しました。

明石昌夫さんが手がけた主なアーティストと作品(一部)

明石さんのプロデュースワークはB’zだけに留まりません。数多くのアーティストの楽曲に、その類まれなる才能を注ぎ込みました。
* ZARD: 「こんなにそばに居るのに」「揺れる想い」「この愛に泳ぎ疲れても」など、透明感あふれるメロディと力強い歌声が印象的なZARDの代表曲の多くに、明石さんのアレンジやプロデュースが光っています。
* WANDS: デビュー曲である「寂しさは秋の色」、シンセサウンドが印象的な「時の扉」「愛を語るより口づけをかわそう」など、90年代を代表するロックバンドWANDSのヒット曲も、明石さんの素晴らしいアレンジによって生み出されました。WANDSの転機となった「Same Side」ではベースを弾いています。
* T-BOLAN: 印象的なイントロで始まる「Bye For Now」など、熱いロックサウンドで多くのファンを魅了したT-BOLANも、明石さんのプロデュースでその魅力を最大限に引き出されました。
* その他、大黒摩季、MANISHなど、数々のヒットメーカーを世に送り出し、90年代のJ-POPシーンを語る上で欠かせない存在でした。

ベーシスト、そして縁の下の力持ちとして

プロデューサーとしてだけでなく、明石昌夫さんは現役のベーシストとしても活躍されました。時に重厚に、時にグルーヴィーに、楽曲のボトムを支えるその演奏は、多くのアーティストから絶大な信頼を得ていました。また、レコーディングにおけるマニピュレーターとしての役割も大きく、彼の緻密な作業が楽曲の完成度を高めていたことは言うまでもありません。
彼の存在は、まさしく日本の音楽シーンにおける「縁の下の力持ち」でした。表舞台に立つことは少なくても、彼の生み出す「音」は、常に私たちの耳に届き、心を震わせ続けていました。

ありがとう、明石昌夫さん。あなたの音楽は永遠に。

私自身、初めて明石昌夫さんのプロデュース作品を聴いた時、そのサウンドの迫力と奥行きに大きな衝撃を受けました。特にWANDSの楽曲では、上杉さんの歌声と柴崎さんのギターサウンドを、素晴らしいアレンジがしっかりと支え、一体感のあるバンドサウンドを作り上げていることに感動したのを覚えています。
明石昌夫さんが残してくれた音楽は、これからも色褪せることなく、私たちの心に響き続けることでしょう。彼の創り出した数々の名曲は、これからも多くの人々に勇気を与え、感動を届け続けるはずです。
心からの感謝とともに、明石昌夫さんのご冥福を心よりお祈り申し上げます。安らかにお眠りください。